ベトナム点描                         

                                                                                                                                                 

                                                                                                                              

 

メールマガジン「旅と写真」に連載中のエッセイです。 (http://plaza14.mbn.or.jp/~mrhiro/melmaga.htm)

 最終回 さらばベトナム(11月7日号)

 

 さあ、いよいよベトナムにおさらばする日がやってきた。僕はバックパックに荷物をつめ、颯爽とした足取りでラオス行きのバスに飛び乗った。

 いろんな思い出が去来してくる……

 僕のジーンズのポケットを切って財布をすっていった奴、フォーに通常の5倍の値段を吹っかけてきて笑うおばはん、乗ったときは「10000ドン(100)だ」と言っていたのに、降りる段になって突然「10000円出せ!」と叫び始めたリキシャのおっさん、頼みもしないおしぼりを持ってきて、使いもしないのにしっかり料金だけは取ろうとするレストランのウェートレス……

 どいつもこいつも、ろくでもない奴ばかりだ。

 バックパッカーはなかなかお金にシビアな人間が多いから、実は彼らの間では、必ずしもベトナムは、「絶賛」とまではいかないのだ。べトナムには、ボッタクリやスリがあまりにも多すぎる。

 だが、僕はもう、ラオス行きのバスに乗ってしまった。もう、こちらのものだ。

 ラオスには、穏やかな人が多いという。よく言われるのが、

「ベトナム人は稲を植える、カンボジア人は育つのを見ている、ラオス人は育つ音を聞いている」

という言葉で、ラオスにはベトナムよりもおとなしく、静かな人が多いとのことだ。僕が東南アジアの方々で聞いたうわさは、

「ラオスはいいですよー。何もないけど、人はいい」

というものだった。

 そして、その通りだったと思う。僕は、バスがベトナム国境を越え、ラオス領内に入ったあたりから、なんとなく人当たりが優しくなったのを感じていた。

 もう、ベトナムのように、必死になって客引きするタクシーの運転手もいない。もちろん運転手はいるのだが、彼らはひっそりと、静かに誘ってくる。もう、Tシャツの袖を強引に引っ張って車に乗せようとするものもない。

 売り子もおとなしい。バスが止まるたびに、水売りや焼き鳥売りが近づいてくるのだが、ベトナム人のように叫ばないし、焼き鳥の串を無理やり目の前に押し付けてくるような者もいない。なんとなく、一歩下がったところから、静かに売りにくるという感じだった。

 料金の交渉も、突然ゆるやかになった。

 さすがラオス、やるじゃないか。いいところだ。

 ここは、ベトナムと違って、のんびりできそうだ。

 僕がこう呟いていると、バスはラオスの終点・サワンナケートに到着した。僕は宿に荷をほどくと、さっそく地元のラオス料理の店に足を運んだ。

 ご飯とスープを頼み、腰をおろす。料理がやってくる。

 うむ、これがラオス料理か。美味いじゃないか。強烈なトウガラシが入っていたが、その辛さも心地よかった。注文したとき言葉が通じず、なんとなく出された料理を食べてしまったが、あとでよく聞くと

「カメのスープ」

だったらしいが、そんなことはどうでもよかった。この程度で驚いていては、世界を旅できない。なかなかステキなカメだ。味もいい。

そして、サービスもよかった。

僕は感動しながらお金を払い、店を出た。だが、その瞬間、奇妙な感覚に襲われた。

値段が、変に高すぎるのだ。

事前に仕入れていた情報によると、この程度の食事は3000キップ(50)位のはずだ。それなのに、さっきは10000キップ(約160円)も要求されて、思わず払ってしまった、いったい、どういうことなのか。

僕は不審に思い、お店のほうを振り返った。その時、

「アッ」

と叫んでしまった。

 

今まで気付かなかったが、その店の入り口には、堂々と

“Com”

という文字が書かれていたのだ。

“Com”とはベトナムを旅した者なら誰でも知っているが、ベトナム語で「ご飯」のこと。

つまり、この店は、ベトナム人経営の店だったのだ。

 

なんという皮肉だろう。

ボッタクリとスリの多いベトナムを逃れてラオスに来たのに、ここでもやっぱりベトナム料理を食べてしまうとは……。

しかし、これはよく考えると当然なのである。

ベトナム人は「越僑」といって、持ち前のバイタリティと商才を生かして、世界各地で活躍している。大人しく、「稲の育つ音を聞いている」と呼ばれるラオス人を押しのけて商売することなど、当たり前のことなのである。

その後、僕は悄然としてホテルに帰った。バスルームに付いていた石鹸を何気なく見ると、そこにも燦然と

“Made in Vietnam”

の文字が輝いていたのだった。

 

その時、僕はやっと気付いたのであった。

 

もう、僕は永遠に、ベトナムから逃れられないということに……。

 

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1.戦争証跡博物館(8月16日号)  

 

サイゴンの戦争証跡博物館。ここはシャム双生児のホルマリン漬けや、戦車、爆弾、砲弾などが立ち並ぶ、かの悲劇的なベトナム侵略戦争を記念して、ベトナム政府が総力を挙げて創り上げた博物館なのだが、ここは実はただで入れるのをご存知だろうか。いや、ちゃんと正門から入ると10000ドン(100)という高額なお金を取られてしまうのだが、秘技を使うとしっかり無料で入れてしまうのである。少なくとも、僕が行った数年前までそうだった。

その秘訣は、まず正直に入り口からは入らないことである。

この博物館の隣には、ベトナムならどこにでもある開放的でオープン・エアな食堂があるのだが、なんとこの食堂を素通りして博物館の中庭まで辿りつけてしまうのである。

つまり、この食堂は南国ではよくあるように、入り口が開けっ放しになっている。そこでさりげなく食堂の中に入りこみ、

「うーん、なにか食べようかな、やっぱりやめた」

とつぶやきつつ、そのまま同じように開けっ放しの出口から出て行くと、そこに目的の戦争博物館が待ち構えている、という寸法なのだ。

 僕はこの事実に、まじめに正門で10000ドン払って見終わって出ようとして気付いた。「チクショー」と思ったものだ。悔しかったので、この厳粛な事実を皆さんにお伝えしたいと思う次第である。

 あ、もちろん断っておきますが、べつにただ見を奨励しているのではありません。こういうこともありますよ、ということで、ご期待に添えましたでしょうか。

 この博物館には、さらに奇妙なことがある。出口のところにお土産物屋がありいろんなものが置いてあるのだが、そこになぜか「蛇酒コーナー」というのがあって、いろんな蛇を漬け込んだ酒を売っているのだ。日本でいえば、「マムシ酒」の感覚であろう。

 それにしても、ベトナム戦争の悲劇を見終わった後にマムシ酒とは、どういう感覚であろうか。

どれも基本的に外国人向けらしく、けっこう高い。いろんなサイズ、蛇の種類があるのだが、中にはポリバケツの2倍位の大きなガラス容器にめったくたに蛇を漬け込み、料金は「5000ドル」というのもあった。

ガラスは完全に透明の薄いもので、なかで50匹くらいの蛇がめちゃくちゃに絡み合っているのがわかる。こんなものを誰が買うのだろうか、こんな重いものをどうやって運ぶのだろうか、途中でガラスが割れたら大変だなあ……と、いま見たベトナム戦争の悲劇を思い起こしながら、そう考えた。

(メールマガジン「旅と写真」2001年8月16日第8号)

 

2.華麗なるスリの生態(8月30日号)

ベトナムはスリが多い。理由は不明なのだが、とにかく多い。

カンボジアからベトナムに抜けた者が、一番驚くのはここだろう。カンボジアにはほとんど「スリ」と称する人種はいない。いるのは単純明快な「強盗」で、命さえ惜しくなければ、お金を取られる心配はないのである。

ところが、ベトナムは基本的に治安はいいのだが(凶悪事件などはカンボジアと比べて格段に少ないはずだ)、なぜか特にサイゴンにはスリがウジャウジャしているので、楽しいところだ。

ある男がスリにやられ、悄然としてカフェでベトナムコーヒーを寂しく飲んでいた。そして、同じテーブルで飲んでいる数人の仲間に呟いた。

「きょうスリに遭ってねえ……」

すると、同じテーブルから

「俺も!

「私も!

「おいどんも!

という声があがり、結局はそのとき同席していた数名がすべて、スリの被害者だったという、僕は実際に体験したのだが、こんなことが平気で起きてしまう街なのである。

手口としては、オカマがベタベタくっついてくる間に、気がついたら腕時計を盗まれていた、バスの中でズボンのポケットを切られた、またこれはスリではないが、手品師のような闇両替商にお金をちょろまかされた、などいろいろあるが、特に危険なのがベンタイン市場、サイゴン大教会前の公園などだろう。

特にサイゴン大教会前の公園は、僕もしてやられた素敵な場所だ。

この教会は『地球の歩き方』によると、

「日曜日のミサには熱心なクリスチャンがいっぱい。クリスマスには派手な電飾が灯され、一晩中賛美歌が流れる」

などという極めてロマンチックな場所らしいが、とんでもない話だ。

いや、僕は別に何もしていない。公園のベンチに座っていると数人のベトナム人に話し掛けられ囲まれ、気がついたらサングラスをやられジーンズの後ろポケットが切られていた、というだけである。僕は初めは何人もの現地人に話し掛けられ、

「俺って人気あるなあ」

と我ながら感心していたのだ。

 気がつくと、サングラスはなくなり、ジーンズを切られた孤独な一人の男がそこにいた。

 

ベトナム。なんとなく、ほろ苦い国である。

 

3 コーヒーの向こう側(9月6日号) 

ベトナムでは、朝にコーヒーを飲む。というより、一日中飲みまくっている。

 これが、東南アジアでもっともポピュラーな国・タイではそうはいかない。あの国には、コーヒーを飲む習慣がない。いや、彼らも一応、毎朝得体の知れない黒い飲み物を飲んでいて、自分達では「これはコーヒーだ」と主張しているのだが、あんなものはコーヒーではない。ただのネスカフェである。

 タイには植民地経験がない。だから、「食後にコーヒーを飲む」というヨーロッパの堕落した楽しい習慣は入ってこなかった。

 翻って東南アジアでもベトナム、カンボジア、ラオスの三国は、悲惨にもかつてフランスの植民地にされてしまった過去があるので、今でも美味しいコーヒーが飲めるのである。

 もちろん、タイのようにネスカフェとかサンタマルタとかゴールドブレンドといった無粋なまねはしない。ちゃんと本物のコーヒー豆を濾して飲むのである。

 ベトナムでは、アルミ製の小さなフィルターに豆を入れ、それをガラスコップの上にのせ、さらにその上からお湯を注いで飲む。実はアルミニウムにはアルツハイマー病を促進するという、恐るべき物質が含まれているらしいのだが、あまり気にしてはいけない。……というか、やっぱり気にしましょう。

 気にしながらも、コーヒーの出来上がりを待つ。フィルターに開いている穴は極めて小さいので、コーヒーが完全に濾されてしまうまで、数分かかる。

 数分かかるので、いろんなことを考えながら待とう。これからの人生のこととか、今まで楽しかったこと悲しかったこと、東南アジア世界の行方、はては宇宙のビッグバンまで……。

 

 さて、ビッグバンについて考えている間に、コーヒーはできてくる。その数分の間にすでにコーヒーは少しぬるくなっていたりするが、あまり気にはならない。ベトナムは暑いので、少しぬるいくらいでちょうどいいのだ。好みで砂糖、コンデンスミルクを入れて召し上がれ。

 なお東南アジアでは、日本のように、コーヒーにあのどろりとした「ミルク」と称する不気味な液体を入れて喜ぶ、という奇怪な習慣はない。牧畜の習慣がないのだろうか、牛乳にはほとんどお目にかからない。旅行者は悲しみながら、缶入りのコンデンスミルクをコーヒーの中に寂しく注ぐのである。出来上がったミルク・コーヒーは甘く、これがベトナムの強烈な日差しに打ち勝つのにはいいのかもしれない。

 

4. アオザイのバミューダ・トライアングル(9月13日号)

 

最近、ベトナムは女性に大人気だ。特に、あの国に行く女性は、たいていは向こうでベトナムの女性民族衣装・アオザイをしつらえてしまうようだ。僕の出会った日本女性の多くは、

「ベトナムに行ったらアオザイをオーダーメイドするの……」

と夢見るような瞳で語ってくれたものだ。

 ところで、このアオザイ、実は日本の男性にも大人気なのである。

 それは、単にあの服が美しいからとか、エスニックで優雅な感傷を醸しだしてくれるから……などといった単純な理由からではない。僕は、アオザイが日本の男たちの間で人気を呼んでいる真の理由は、

「それが女子中高生の制服になっているから」

だと見ている。

 一般に誤解があるようだが、現在のベトナムの女性は、決して四六時中アオザイを着ているのではない。都会の若い女性は、ジーンズにTシャツなど、日本の女性とさほど変わらない服装をしているし、オバチャンや田舎の女性は、普段は「バーバ」という、日本で言うとパジャマみたいな、ペラペラの生地の楽な服装をしている。それは身軽で、きわめて可愛らしい。

 アオザイは、日本の和服と同じく、かつては女性が日常的に着ていたものらしいが、現在ではほとんどの人は着ていない。いまサイゴンでアオザイを着ているのは、ホテルの職員、銀行の従業員、そして女子中高生ぐらいのものだろう。

 そう、現在ではアオザイは、女子中高生の制服になっているのだ。

 

 さて、ここで話が突然変わるのだが、日本の男たちは「制服」が大好きなのをご存知だろうか。

 総務庁(?)の調査によると、日本の男性の約80%が制服の女性に色気を感じ、78.56%がセーラー服の女子高生がたまらん、と答えているという(ほんまかいな)

 そのような状況だから、ベトナムで女子中高生の制服であるアオザイに人気が集まるのも、無理はないのである。

 そして、現地では恐るべき事態が進行している。

 望遠レンズを持った日本のカメラ小僧がアオザイの女子高生を追いまわし、女子高の前で三脚を立て、学生の下校を待ち構えて写真を撮ろう、と張っているのである。

 現に、僕も夕方ごろ、女子高の前に行こうと誘われたことがある。

「どうしてだ?

と聞くと、

「いやあ、さっきスコールが来たじゃない。それで、アオザイが濡れて、下着が透けて見えるんだよ……」

と言われたものだ。

 話がどんどん下品になっていくのだが、中高生のアオザイの色は、ほとんどが「白」である。もともとアオザイの生地は薄いから、下着が透けて見えるのは当たり前なのだ。来ている当人も、それほど気にしているようには見えない。べトナムの女性は強いから、下着ごときでガタガタ騒がないのかもしれない。アオザイで日常的に下着が透けて見える理由として、もともとベトナム女性は下着など着けなかったから、という高貴な学説が有力である。だとすれば、下着を着ける現在の風潮のほうがはるかにヒワイ、ともいえるのだ。

 さらに、アオザイには恐るべき物語がある。このエッセイのタイトルにもなっている「アオザイのバミューダ・トライアングル」というのをご存知だろうか。いや、実は僕が勝手に名づけたのだが。

 ここで、アオザイの工学的な構造について触れておこう。あの服は、スラックスの上に少し長めの上着をはおるようになっているのだが、その上着の横に長い切れ目(スリット)がついていて、そこから横腹の肉が少しばかり覗けるようになっているのだ。

 その覗ける穴の形状が三角形であることから、現在では「アオザイのバミューダ・トライアングル」と呼ばれ、恐れられている。

「世界で一番エッチな民族衣装ですねえ」

とベトナムで会ったある日本の男は、うれしそうに言っていた。

 この横腹が覗ける魅惑のバミューダ・トライアングルの中に不用意に入り込み、そこから永遠に出てこれなくなった日本の男たちが続出し、日越間の国際問題になり、国連でも現在討議されていることは周知の事実である。日本の男たちは、もう少しまともな人生を歩むように。僕を見習いなさい。

 ちなみに僕は制服など大嫌いで、女性は素顔のままが一番美しいという、きわめて健全で嘘のように正しい人生を送っている。

 

5. 聖なるボッタクリ伝説(9月20日号)

ベトナムを旅行してきた旅人は、二種類に分かれる。ベトナムが好きな人と、嫌いな人と(当たり前か)

 さらに「ベトナムが好き」と答えた人を分類すると、また二つに分かれるようである。

 まずは、パックツアーや、個人で裕福で幸福な旅をしてきた人々。この人々は、

「ベトナム、いいですねー。食べ物もおいしいし、人も優しいし……」

 と、とりあえず素直に誉める。

 だが、バックパッカーなど、悲惨で貧しい旅をしてきた人々は、そうではない。彼らも一応、

「ベトナム、いいですねー」

と誉めてみる。

 だが、その後に続く言葉が違うのだ。ベトナムを旅してきたバックパッカーに聞くと、彼らはおそらくこう続けて言うだろう。

「ボッタクリさえなければね……」

 

 ボッタクリ。そう、それこそベトナム人の聖なる行動であり、宗教的行為と言ってふさわしいものである。日々の祈りのようなものだ。

 なぜだかわからんが、ベトナムに行くと、やたらとお金が飛んでいく。本来、物価は安いはずなのに。なぜだろう。

 ベトナムでのボッタクリの実例は、数多く報告されている。だいたい、外国人からの略奪は、国家さえ認めているのである。

 たとえば、駅に切符を買いに行こう。ここには、ベトナム人料金表の横に堂々と「外国人料金表」が掲げられていて、その価格はベトナム人のおよそ3倍である。

 レストランに行こう。ここでは食べる前に、多くの場合、料金の交渉をしておかねばならない。でないと、勘定の段階で、確実にもめるだろう。

 また、事前に交渉しておいても、安心はできない。ウェートレスは適正価格(そんなのあるのかな?)1,5倍くらいは言ってくるし、仮にメニューを持ってきたとしても、そのメニューの値段がすでに「外国人料金」だったりするから、油断ならない。

 さて、食べ終わった。勘定しよう。おいしかったねー。ウェートレスが勘定書きを持ってくる。景気よく払おうとし、ふと勘定書きに目を落とすと、

「あれ、この『ピーナッツ代』と『おしぼり代』ってなんだ?

 テーブルを見おろすと、いつの間に持ってきたのか、小さな皿にせこいピーナッツが数粒のっていて、使い捨てのおしぼりも置いてある。どちらも、もちろん注文していないし、手も触れていない。ここで気を抜いていると、危うく用のないピーナッツとおしぼりの料金を払わされてしまうのである。

 こんな例は枚挙にいとまない。外国人は何でも2倍近くの料金を吹っかけられるし、つり銭はごまかされるし、闇両替商はいるし、まったく君たちはいいかげんにしなさい。

 おそらく、ベトナム人は外国人を信用していないのだろう。これには、彼らが長い間、フランス人、日本人、アメリカ人の支配を受けてきたということも関わっているのだろう。今まで外国人に悲惨な目に遭わされてきたから、容易に外国人を信用しないのである。

 だが、こんなこともある。僕はベトナム中部の街ダナンからノンヌォック・ビーチに行くためにバスに乗った。事前に地元の人から、「このバスは3000ドン(30)だ」と聞かされたのだが、バスの車掌には20000ドンを請求された。実に5倍以上である。

「やられたなー」

と思いながらも、僕は諦めににも似た境地で、車窓の風景に目をやっていた。ベトナムではこんなことは日常茶飯時だから、いちいち参っていてはやっていけないのである。

 さて、僕は車窓の風景に目をやりすぎたのだろう。乗り越してしまった。終点のホイアンまで行ってしまったのである。

「あー、また来た道を引き返すのか……」

と一人、終点で止まった暑いバスの中で落ち込んでいると、さっき僕からぼったくった車掌が、身振り手振りで言う。「バスから降りろ」と。

 僕はまたバスに乗り遅れたりするのがいやで断ると、車掌は一人で降り、一杯のジュースを持って戻ってきた。飲めと言う。

僕が礼を言い、お金を払おうとすると、彼はそれを押しとどめて、

「ノー・プロブレム」

と言った。

 僕は分からなくなってしまった。さっき、僕から規定の5倍の運賃をふんだくった同じ車掌が、今度は落ち込んだ僕を哀れんでジュースをおごってくれるのだ。実は、このジュース代も、さっきのボッタクリ料に含まれているのかもしれないが、そんなことは気にならなかった。帰りもやっぱり5倍の料金をふんだくられたのだが、さらに気にはならなかった。

 ただ、奇妙な感情だけが残った。

 ベトナム人……こいつら、いったい何なんだろうって。

 彼らには素顔が二つあるのだろうか。

 外国人からふんだくる顔と、同じ外国人にジュースを恵んでやる顔と。

 どちらの顔が、真実なのだろうか。

 それとも、そんな答えは初めから存在しないのだろうか……。

 

6. シクロ (10月4日号)

 

 多くの国には、「国民乗物」というものが存在する。その国の国民にやたらと乗られ、消費され、意味もなく愛されまくっている乗り物である。たとえばタイでは三輪自動車のトクトク、フィリピンでは乗合トラックのジプニー、インドでは人力のリキシャなどがあるが、ベトナムのそれは、間違いなく「シクロ」だろう。

 「シクロ」はたぶん英語の”cycle”と同じ語源を有すると思うが、詳しいことは分からない。とにかく、本質的には自転車なのだが、前方に客席が設けてあって、自転車がそれを押して運べるようになっているものである。

 この、「客席が前方に設けてある」というのがポイントなのだ。

 誰でも分かることだが、これでは人ごみや車の波の中に、まず「客席から」突っ込んでいくことになる。シクロを運転している奴は、涼しい顔だ。だが、哀れにも客席に座ってしまった者は、大変である。

 ベトナムは、ドイモイ(刷新)政策以後、急激な経済発展の波にさらされている。それで、サイゴンなどの大都市では、バイクや車が死ぬほど多いのだ。

 さらに、今のベトナムには「交通マナー」などという洒落たものはなく、信号も少なく、あっても守られていない。このような「車の海」の中にひとり突っ込んでいくシクロ同乗者の孤独は、理解していただけると思う。

 僕も一度、車とバイクの波の中に寂しく取り残されたことがある。あたりをわんわん車が通り過ぎていき、今にも接触しそうで、生きた心地がしなかった。シクロ運転手は、涼しい顔だ。

 さらにこのシクロ、あまり観光客には評判がよろしくない。全然ちがうところに連れて行かれた、はじめ10000ドン(約百円)と聞かされていたのに、降りる段になって「10000円だ!」とすごまれた、あげくは変なところに連れて行かれてレイプされたなどと、ろくな噂を聞かない。だから最近は旅行者も敬遠している。それで客が減り、シクロ運転手はますます悪事に走る……という完全な悪循環になっている。

 ただし、僕はシクロでトラブルに遭ったことがない(と思う)。それでも、こういう悪評があるということだけは、知っておいたほうがいいと思う。

 この乗り物、いかにも異国情緒があって、思わず乗ってしまいそうになるんですけどね。

 

7.ビアホイ屋台の夜は更けて……(10月11日号)

サイゴンには、なぜか日本人旅行者が好んで集まってくる不気味な一角がある。

 それはバックパッカー街のファン・グー・ラオにあって、ビアホイ屋台が密集している場所なのだ。

 ビアホイとはベトナムの生ビール。といっても、日本でいう「生ビール」とは少し概念的には異なっているから、注意が必要である。

 日本のビールよりもちょっと薄く水っぽくて、言葉は悪いがいわゆる古典的な「馬ションビール」という奴だろう。

 「馬ションビール」とは、馬の小便と同じくらい美味しいという、世界的にはロシアなど広い範囲に分布している、悲劇的なビールである。

 これを主にぐにゃぐにゃしたプラスチック製のピッチに入れて飲む。だいたいお店で量り売りしてくれて、おおよそ1リットルあたり50円ほど。

 信じがたいほど安いが、値段なりにコクはあまりなく、そんなにおいしいものではない。それでも、水っぽく喉あたり(?)がいいので、思わず飲んでしまう。

 ビアホイ屋台は、ちょうど日本の居酒屋の雰囲気に似ていて、だからこそ日本人旅行者に人気があるのかもしれない。

 ホビロン(孵化寸前のアヒルの卵)やチャー・ゾー(ベトナム春巻)、ラウ・イェー(ヤギ鍋)などをつつきながら、日本人やなぜか日本語ペラペラのシクロマンと怪しい会話を交わしながら、意味不明に更けゆくサイゴンの夜も、また格別だ。みなさんもベトナムに出かけたら、ぜひぞうぞ。ビアホイ屋台が、お待ちしております。

 

8 フランスパン(10月18日号)

 

 ベトナム・ラオス・カンボジアのインドシナ三国は、なぜか以前フランスの植民地にされた悲惨な過去があるので、いまでもどこかにフランスの香りは残っている。

 たとえば、どこにいっても「道端でフランスパンが買える」といったことも、その一つだろう。

 ただし、ベトナムのフランスパン(奇妙な言い方だが)は、フランスでお目にかかるものほど大きいものではない。長さとしては、あの半分くらいだろう。

 また、高温多湿の気候のせいもあるのだろうか、本場ものほどパリッとはしていない。

 なんとなく、東南アジアの熱気を吸い込んだように、しなっとダラッとしている。より、湿気を帯びたふうなのだ。

 東南アジアでは、これを真ん中で割り、よくサンドイッチにして食べる。そしてそれも、「本場もの」とはちがって独特の味があるのだ。

 中に野菜、卵、ハム、ミンチ肉などをはさむのはフランスと同じだろうが、ベトナムが違うのが、ここに「ヌクマム」を振り掛けることだ。

 ヌクマムとは、ベトナムではたいていの料理に使われる調味料で、魚を発酵させて作った醤油のようなものだ。独特の強烈な臭みがある。これを、サンドイッチの中に入れてしまうのである。

 いや、こんなことはまだいい。文化の違いと言うことで、逆にすがすがしいくらいだ。分からないのが、この中にさらに「パクチー」を入れる場合がある、ということだ。

 パクチーとは日本ではコリアンダーと呼ばれる香菜で、まるでヘアトニックのような、香水のような匂いのする不気味な葉っぱである(異論のある方もおられるだろうが、食べ物のおいしいまずいは強烈に主観に基づくものなので、ここでも僕は自分の主観を強烈に主張してしまうのである)

 東南アジアの人々はこの葉っぱが大好きで、麺類の中にも肉・魚料理の中にも、とにかくめったやたらに入れたがる。

 日本人の中にはパクチーの強烈な匂いを嫌って、料理を頼むときに思わず、

「すみません……パクチーを抜いてもらえませんか」

などと言ってしまう軟弱者もいるようだが、僕は違った。

それほど好きな葉っぱではなかったが、いちいち指示するのも面倒くさく、出されてきたパクチー料理をおとなしく食べていたのである。

しかし、パクチー入りのサンドイッチは、レベルが違う。

麺類やほかの料理に入れると、ほかの素材に紛らわされて、パクチーの香りもごまかされてしまうのだが、サンドイッチに直接入れてしまうと、露骨にパクチーを噛んでしまうことになるので、もはや「パクチーの味」しかしなくなるのだ。

お口の中にまろやかな「ヘアトニックの味」が広がり、僕は卒倒しそうになった。まったく、人間の味覚は、嗅覚に強烈に影響を受けてしまう。

この様な悲劇的な体験をしてから、僕も人生を改めた。軟弱な日本人を見習って、ベトナムでサンドイッチを頼むとき、こう付け加えるようになったのである。

「すみません……パクチーを抜いてもらえないでしょうか……」

 

9. バスの旅(11月1日号)

ベトナムのバスについて語ろうか。

 この国のバスには、主に二つの種類がある。

現地人が乗るローカルバスと、外国人しか乗らないツアーバスだ。

ツアーバスは、外国人むけの旅行会社(シンカフェ、キムカフェなど)が経営している。

 通しのチケットがあって、サイゴン、ニャチャン、ホイアン、ハノイなどの観光地を、それ一枚で巡っていけるような、便利であほらしいシステムになっている。便利すぎて、かえって味気ない。

現地人の乗るバスは、なかなかハードだ。中には、

「サイゴン=ハノイぶっ続け2日間」

という恐るべきバスもあって、これなどは日本的な常識をはるかに超えているだろう。

もちろん、中にベッドなどという洒落たものはない。小柄なベトナム人むけに造られた狭い客席に、時には乗車率200%という信じがたい混雑振りの中を、悠々と2日かけてハノイへと進んでいくのである。もちろん、僕は人間なので、そのようなバスに乗るのは、丁重に遠慮申し上げた。

だが、そこまでいかなくても、僕は現地人のバスによく乗ったものだ。

陸路で初めてベトナムに入ったときのこと。僕は、里帰りするアメリカ系ベトナム人と一緒になって、カンボジアからベトナム国境を抜けた(彼はおそらく、亡命ベトナム人=ボートピープルだったのだろう)

やってきたバスは床が木の板張りの、日本ではおそらくは何十年も前でないとお目にかからないような代物だった。

それはいいのだが、僕には一つ気になる光景があった。

まず、バスの中に、一つのクーラーが置いてむあり、そのふたの上にコップが一つ載せてあった。隣に座っていた女の人がそのコップをとり、クーラーの中の水を飲んだ。

僕は、そのクーラーがその女の人の所有物だと思っていた。ところが、次から次へと関係ない人がクーラーに寄ってきて、まったく同じコップで水を飲み始めるのを見て、はっとした。

このクーラーは私物ではなく、みんなが飲むように設定されている、共有物なのである。

それをみんなで同じコップで飲むというのが、なんともほほえましいというか、感動的というか……。

そのうち、バスはバス停に止まり、次から次へと物売りが乗ってきた。パイナップル売りの少女、歌いながら焼き鳥を売る者、巨大な2m近くあるサトウキビを持ち込む者、また、客が連れてきていた数羽の生きた鶏が、ここぞとばかりにけたたましく鳴き始め、バスの中は騒然とし始めた。

あたりの騒ぎに驚き、目を丸くしている僕を見て、隣のアメリカ系ベトナム人は大きく笑い、そしてアメリカ風のちょっとキザな英語で、僕の耳にこう囁いたのだった。

 

“This is Vietnam!”

ってね。

 

 

・本エッセイは、上記メルマガにて絶賛(?)連載中!

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