日本トンデモ祭り         

10月19日 きちがい祭り (滋賀・大津市)


これほど神秘的な祭りを、僕は知らない。
何しろ、地元の人すら、その内容を知らないのだ。
そもそも、「きちがい祭り」という名前自体がすばらしいのだが。

だいたい、駅前の観光案内所のおばさんすら、この祭りのことを知らなかったのだ。
「きちがい祭り……?ええと、名前は聞いたことはありますが、どこらへんでやってるか分らないんですわ。この主催者の竹内さんという方に聞いてくれはります……」
と、おばさんはちょっと伏し目がちに、主催者の電話番号を書いた紙を、僕の手に押し付けた。
その手の温もりに、なんとなくこれからの道程の不安さを感じるのだった。


竹内さんに電話してみる。
しかし、いっこうに出ない。
しかたないので、祭りが行われる……はずの野神神社まで歩いていく。
すると境内では、新たなおばさん二人が、酒やら料理の準備をしていた。きっと祭りの関係者だろう。
関係者なら、知っているはずだ。

勾当内侍の墓

しかし、この関係者のおばさんすら、祭りのことを知らなかったのだ!
「きちがい祭り……?ああ、やるみたいですが、どこでいつごろやりはるか、分らんのですわ。主催者の竹内さんに聞いてくれはります……」
また「竹内さん」だ。そんなに人気なのか。
と言っても、本人は電話に全然出ないのだが。

ひょっとして、よそ者の僕は警戒されているのだろうか、ここは相当閉鎖的な土地柄ではないか……などと考えている間に、祭りは始まった。


この大津市堅田は、かつて新田義貞の妻である勾当内侍(こうとうないし)が、発狂して死んだという土地なのである。

南北朝の合戦のころ、越前に敗走した義貞の妻勾当内侍は、この堅田に隠れていた。
やがて義貞の戦死の報せを受けた内侍は、悲しみのあまり気が狂い、琵琶湖に身を投げて死んだという。
この「きちがい祭り」は、気が狂って死んだ内侍をしのび、みんなできちがいの真似をしようではないか、という訳の分からない動機に包まれた祭りなのだ。

インは、「お渡り」という行事である。
かみしもを着た男たちが、魚や豆を載せたお膳を持って歩く。
そして、きちがいの真似をして奇声をあげながら、お膳を地に叩きつけたり、人にぶつけたりするのだ。
かつては、これで大怪我する人もいたという。
僕も現地の人に、
「ヘルメットかぶっとかなあかんで……」
と言われたものだ。





そして、夜は「松明行列」である。
みんなで松明を持ち、
「城門じゃ!火事じゃ火事じゃ!」
と叫びながら歩く。
かつては一晩中歩き、夜中にみんなを無理やり起こしてまわり、行列を拝むことを強要したという。

まさにきちがい沙汰、やりたい放題の祭りだったのだ。
二日間、朝から晩まで延々と続く狂宴だったのである。
ソドムの市。

現在では過疎化が進み、氏子はもはや10家族くらいしかない。
日程も縮小され、一日ですべての行事をとり行うことになった。
もはや膳をぶつけられて大怪我する人もなく、夜中に松明行列に起こされることもない。全体的にソフト化・常識化しているのだ。
問題の竹内さんとも会い、家まで招かれて話を聞き、貴重な資料ももらってきたが、齢70歳の彼は昔を懐かしんでいた。
「昔の風習は守らなあかん。かつては酒を飲んで、きちがいみたいに一晩中暴れまわっとったけどなあ……」

この祭り、インターネットで調べても、ほとんど情報はない。
「きちがい」という言葉がひっかかり、もはやこの名前では呼ばれなくなったのだ(現在では、主に「野神祭り」という)。
僕が調べた限り、祭りの本にもほとんど出ていない。
いや、「きちがい祭り」という名前はぽつぽつと出てくるのだが、その内容はほとんど明らかにされていないのだ。
おそろしいほど「知られざる祭り」である。

今回はそうとう真面目なルポになったが、この祭りについては記録しておくだけでも価値があると思い、あえて正攻法で報告しておく。


●JR湖西線堅田駅下車、徒歩20分

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