オカマのベトナム

 

 東南アジアはどこでもオカマが多いけど、ベトナムもやっぱり多い。だいたい、ホーチミン・シティで初めて泊まったホテルからして、オカマが経営しているホテルだった。

「はあ〜いお兄さ〜ん、こっちよ〜」

 プノンペンから陸路でホーチミンに入り、ファン・グー・ラオの裏通りで宿を探し始めた時、一番初めに声をかけてくれたのはオカマの客引きだった。つまり、ベトナムとの最初の出会いは、オカマだったのである。

 僕は一瞬たじろぎそうになったけど、オカマはあまりに自然に街の風景に溶け込んでいた。一泊いくらかと聞くと、4ドルだという。僕はすぐさまその安さに負け、そのままオカマ・ホテルの住人になってしまった。ま、時たまこのあまり美しいとは言えないオカマが、「マッサージしてあげるわ〜坊や」と言いながら擦り寄って来たり、夜中に部屋に押し入られそうになる特典つきだけど、それも旅の思い出である。僕は少しの不都合もなかった。

 だが、その後中部ベトナムのある寒村で、ベトナムの真の偉大さ、オカマとベトナムの真実、オカマの未来について考えさせられる出来事に出会ったのだった。

 

 ダナン近郊のノンヌオック・ビーチ。

 このひなびた海岸沿いの村で、僕は退屈に身もだえしていた。

 だいたい、ここは「ビーチ・リゾート」のはずだ。ガイドブックにはそう書いてある。なのに、なんでこんなに客がいないんだ。僕の泊まっていたホテルの客は僕一人で、結構いっぱいあるツーリスト・レストランの客も僕一人で、ビーチに出ても僕一人、たまに華僑系の金持ちが砂浜で生っ白い肌を焼いているだけだった。通りも閑散として、活躍しているのはほとんどが麗しきオバチャンである。若い女性はまったくいない。いったいどこに行ったのか。もともといないのか。夜は夜で九時には閑散としてしまい、僕も仕方なしに十時には寝てしまうという超健康的な生活を余儀なくされていたのだ。ああ、もっと乱れた生活を送りたい……

 そんなふうに悲しんでいると、一人の少年に出会ったのだった。

「退屈しているみたいだねえ。夜におもしろい催し物があるよ。こない?」

 夜が更けるのを待って僕は少年に手を引かれて行くと、それはちょうど日本の祭りの会場のような所だった。一体これだけの人がどこにいたのかと思うほどごった返し、あたりにはルーレット、射的、サイコロ博打、輪投げ、お菓子・ジュース屋台などが密集していた。それは、昼間の鬱蒼とした退屈な日常とは違った、明らかな〃ハレ〃の場所だった。現地の人も、嬉しそうに楽しんでいる。ああ、やっぱりベトナム人もはしゃぐのが好きなんだな……昼間には姿を消していた若い女の子たちとも仲良くなれた。

 ところで、会場の隅に、大学の学園祭の野外特設ステージみたいなものが、さっきからわざとらしく据え付けられているのは何だろうか……と思う間もなく、舞台の上に楽器を持った男たちが駆け上がり、演奏が始まった。ロックと日本の盆踊りを足して二で割ったような音楽。続いて、歌手たちも現れた。歌手は全部で十人以上いて、一人二〜三曲歌っては去って行くのだが、それ以上に注目すべきことがあった。

 歌手のほとんどが、オカマなのだ。                             

 参ったことに(よく考えると当たり前のことかも知れないけど)、多くのオカマは〃アオザイ〃を着ていた。日本のオカマが晴れ着を着るようなものか。中には超ミニのチャイナドレスといったセクシー衣装を身につけ、激しく肌もあらわにセクシー・ダンスを踊り続けているのもいた。観客はやんややんやの大歓声。見ると、若いお母さんが赤ちゃんを抱いたまま、嬉しそうに声援を送っている。

 いったい、ここはどんな国なんだ。

 昼間は何もない寒村なのに、夜になるとオカマが踊り狂っているとは。これがベトナム人のパワーか。ベトナム戦争に勝った、というのはこういう事か。オカマのおかげで戦争に勝てたのか……                       だが、僕のそんな無益な思考も、夜の中に消えていった。そして、そこから僕も本腰を入れて、踊り狂うオカマ達に声援を送り始めたのである。

 

 (『旅日記』2000年12月号掲載)        

 

 

                                              

                                 

                                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〒170−0002 東京都豊島区巣鴨4−23−10−201

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あまり細かいことを言ってはいけない。僕は十分満足していた。

 

 

僕は確かに「沈没」するためにあえてヘンピなビーチにやって来たのだけど、いくらなんでもこれはやり過ぎではないだろうか。

 「ホテルを探してるんでしょう。こっちよ〜」

 「一泊いくら?」

 「フォー・ダラーズ」

 僕はこの言葉を聞いてすぐさまその安さに負け、サイゴンのオカマホテルの住人になってしまった。

 サイゴンのオカマホテル。

 僕は美しい思い出を胸に秘め、中部ベトナムへと旅立った。そしてそこでは、さらなる壮大なオカマのドラマが繰り広げられていたのである。

 

 

                                                          

 

僕は一瞬たじろいだが、一泊4ドルというキリの良さと安さに負けて、思わずチェック・インしてしまった。そこで意味もなくオカマにマッサージされたり、部屋に押し入られそうになったりしたが、それも今は良い思い出である。

の細い路地を分け入っていると、さっそくこう呼び止められた。振り返ると、背の高いオカマが手招きしている。