闘うベトナム人

                                            

敵進我退    敵が進めば退き

                            敵駐我撹  敵が止まれば撹乱し

                          敵疲我打  敵が疲れれば攻め

敵退我追  敵が退けば追撃する 

                                              -- 毛沢東語録より--

 

                                       

 

暮れなずむサイゴンの街角に、なぜか日本人旅行者が好んで集まる場所があるのを、ご存じだろうか?

 それは、かの有名な安宿街ファン・グー・ラオの一角にある。夕焼けがこの安宿街をあかね色に染めるころになると、日中へたばっていた日本人旅行者はうれしげにベッドから身を起こし、おもむろにこの街の片隅を目指して歩きだす。

 そこに別に何がある訳ではないけど、なぜかビヤホイ(生ビール)屋台が密集しているのだ。それがまた日本の一杯飲み屋のような雰囲気で、日本人旅行者たちを限りなく誘うのだ。

 店はだいたいオープン・エアになっていて、テーブルを通りまで無遠慮に占拠させている。客は椅子に腰掛け、ラウ(鍋物)、チャーゾー(春巻)、ホビロン(孵化寸前のゆで卵)など思い思いの物を頼む。なぜかポリバケツに入れられて出てくる、堂々たる〃ビヤホイ〃を頼む。そこに夕暮れ時に行くと、必ず何グループかの日本人旅行者が飲んだくれているのを見るだろう。そのうち、日本語の分かるシクロマンまで加わって、訳の分からないインターナショナル騒ぎが沸き起こる。これがベトナムだ。これも社会主義国ベトナムの、ひとつの顔なんだ。

 と、訳知り顔でうなずいていた僕も、そのときサイゴンを旅していた一人の旅人だった。通りに置かれた椅子に座り、変に色っぽい女性に持って来てもらったビヤホイに口をつける。夕暮れに染まる街。そのうち、街はビールに溶けていくだろう。黄金の時。至福の時。

 ……そのとき、店の女性が何かを叫んで、感傷が破られた。女性は奥から飛んで来て道端のテーブルをものすごい勢いでたたみ、

「☆◎◇〒§◎!」

 こう叫んで、僕らを店の奥に追いやった。僕は訳が分からず、ビールを持ったまま立ちすくむ。この間一瞬だ。

 訳が分からずぼんやりと通りのほうを眺めていると、一台のトラックが通り過ぎた。その荷台には、何やら制服を着こんだ集団が乗っていて、当たりに睨みをきかせながら通り過ぎて行く。

 ……行ってしまった。                     

 するとあの女性が戻って来て、何事もなかったかのように再びテーブルを路上にひろげ、「ほら、食べな」とシレッと言ってまた店の奥に入って行った。

 僕は仕方なく再び鍋物をつつき始めたのだが、キツネにつままれたような顔をしていた僕に、一緒に食事していた日本人バックパッカーが話しかける。

「わかる?今の騒ぎ。ここじゃ、毎日のことだよ」

「毎日だって?」

「そう。大体、これって世界中どこでもそうだと思うけど、『屋台』ってさあ、道路交通法に違反してるんだよね。つまり、どこでも基本的に違法なの」

「そうなの」

「うん。だからベトナムでもさあ、ああやって毎日のように、公安が取り締まりにくるんだよ。でも、取り締まりにくるぐらいで、だれも法律は守らないよね。このファン・グー・ラオのあたりはまさに屋台の海ってかんじだけど、ここの連中はいつ頃公安が見にくるってことを、全部知っている。それで、『公安が来た!』ってことになれば、その信号が瞬く間に広まって行く。屋台のオバチャン連中は、あわててイス類を隠す。なにしろイスさえ隠してしまえば、『わたしはこんなところで商売している訳じゃありません。ただなんとなく、屋台のクルマを引いてうろちょろしているだけです』っていう言い訳ができるもんな」

「ばかな!」

 僕が笑いながら言うと、男は一瞬黙ってビールに口をつけ直し、それから再びグッとにじり寄って話を始めた。

「本当だよ。公安だってやる気はないもんな。大体あいつらだって実は、制服を着ていないときは何もなかったような顔でこのあたりにフォー(ベトナムうどん)やチャーゾーを食べに来てるんだぜ。でも仕事となると、どうしても人民を弾圧しなきゃならん……それでもここの連中を全部引っ捕らえていると、仕事が増えてしょうがない。だから彼ら忠実にしてやる気のない公安どもは、たいていの屋台には見てみぬふりしているのさ。おかげで世界は平安に保たれている。やる気のない警察権力に、乾杯しようじゃないか!」

 彼は悪乗りしてきたようだ。ビールが廻りはじめたらしい。だが、僕はこんな酔っ払いにからまれながら、心は別のところに飛んでいたのだった……                       

 

 あれはいつのことだったろうか--- 僕はいつか読んだベトナム戦争の本のことを思い出していた。

 畑で、農夫たちが作業している。その横を、アメリカ軍の戦車が、悠然と進んで行く。戦場の、ごくありふれた静かな光景。

 すると、戦車が通り過ぎたとたん、農夫は土の中に隠していた爆弾を取り出し、過ぎ行く戦車に向かって投げ付ける。

 爆破された戦車。勝ち誇る農夫。

 ---どこか似ている、と思った。これは、今サイゴンの街角で繰り広げられている屋台と公安の熱き戦いとそっくりじゃないか。

 米軍が公安に、農夫が屋台に代わっただけのことだ。

 ベトナム人は、今も戦い続けているのだろうか。

 

 また、僕は思い出すことがあった。               

 はじめて、このサイゴンに来たときのことだ。僕は、一人の少年が左手に小さな竹の筒をもち、右手に短い鉄の棒をもって、ある一定のリズムで叩きながら歩いているのを見た。

 はじめて見たときは、「ああ、こういうことをするのが趣味の奴もいるんだな」ぐらいにしか、思わなかった。

 でもその後、数人の少年たちが同じように竹を叩きながら歩いているのを見た。それで僕は、「ひよっとしてこういう遊びがはやっているのかな」と思った。

 そのうち、この竹を一定のリズムで叩きながら歩いている子供たちが異常に多いことに気がついた。ホテルに泊まって窓を開けっ放しにしていると、しきりに何度も何度もあの「竹リズム」が聞こえてきた。そのうち、そのリズムにはいくつかの〃流派〃があることが分かってきた。叩く少年、少年によってリズムが微妙にちがう。合計すると、数種類あるようだった。

 あれはいったい何なんだ。と、ここでふたたびファン・グー・ラオのビヤホイ屋台に戻ろう。幸いにも、僕と一緒に飲んでいたあのいろいろ事情に詳しい男は、今もおあいそせずに、同じテーブルで飲んだくれている。聞いてみよう。あの竹叩き少年は、何なんですか?

「ああ、あのガキどもね。あれは『闇両替』と『マッサージ』なんだ」「え、なんだって?」

「だからさ。あのコンコンコンキンコンコンというリズムで打っている奴、あれは『闇両替商』なんだ。それでキンコンキンコンコンコンキンっていうリズムで叩いている奴、あれは『マッサージ紹介業』なんだ。なんていうマッサージかは知らないけどね」

「それってどういうこと?」

 僕は聞き返した。あまりに意味不明だったからだ。

「どういうことも何もないよ、そのままさ。闇両替にしても『わたしは闇両替商です』なんて看板は持って歩けないだろ。そんなことすりゃ、速攻でパクられるのは請け合いだ。マッサージにしてもそうさ。『どこもかしこもマッサージします』なんて口上をいって回れる訳がない。そこがウラ稼業のいいとこさ。だから、竹で一定のリズムを叩き出して、分かる人々だけにメッセージを送ってるんだ。ま、たいていの人は分かってんじゃないかと思うけど。それにあれなら、公安に捕まっても言い訳できる。『おまえ闇両替商だろ』って言われても、『いえ、僕はこういうふうに竹を一定のリズムで叩くのが好きなんです』とでも言えばおしまいさ。どこにも証拠がないもんな。『いえ、僕は懐に意味もなくドル札を入れて歩くのが好きなんです』とでも答えればいい」

「奥が深いんだな、この国は……」

 

 僕は感嘆した。そしてそれから、サイゴンのビヤホイ屋台が、すっかり好きになってしまった。

 夕暮れが迫るころになると、いつもの屋台に出向く。いつもの路上テーブルに座り、ビヤホイを頼む。そのうちサイゴンで知り合った日本人、全く知らない人々が集まってきて、鍋を囲み始める。

 例の「公安の手入れ騒ぎ」は毎日のようにあった。でも、このころになると僕はどこか穏やかな目でそれを見つめることができるようになった。オバチャンがすさまじい勢いでテーブルを片付け始めると(このあたりの屋台はみんなそう)、「ああまたか」ってなもんだ。僕は涼しい顔で立ったままビールを飲み、公安が行くと苦笑しながらテーブルに戻り、また何もなかったかのような顔をして話を始める。中には初めてサイゴンに来て、この騒ぎにびっくりしている人もいる。そういう人には僕が訳知り顔に、この原稿の初めのほうで僕が男に教えてもらったとおりに教えてあげる。「実はね……」

 でも、屋台は遊びではなかった。やっぱりここは、〃戦場〃なのだ。僕は、通りすがりの外国人旅行者が笑ってすまされない現実を見ることになるのだった。

 その晩、僕はいつもより遅れてホテルを出た。屋台に埋め尽くされた感のあるファン・グー・ラオを歩いていると、そこに人だかりができ、何か騒ぎが起こっているのを見た。

 僕は不吉な予感がして、走り寄った。

 ああ、やっぱり……

 今日は、公安がいつもより早く出勤していた。そして、運悪く一人のフォー屋台の女性が、捕まってしまっていたのだ。

 公安は、冷酷にも屋台の道具を没収し、トラックに積み上げようとしていた。それに対して、なかば涙を流しながら抗議する女性。気のないそぶりで首を振る公安。

 「この道具も、みんな親戚からの借金で買ったのよ。取り上げられると、とてもお金は返せないわ。それに、家では子供達がわたしの稼ぎを待っているのよ……」ぐらいのことは言っていたのかもしれない。

 突然、女性が公安たちに飛び掛かった。実力行使で、屋台道具の没収を阻止しようとするのだ。

 だが、公安はそれすら相手にしなかった。数人で簡単に女性を排除し、そのまま道具の没収を続ける。           

 その光景を、黙々と見守る一般ベトナム人。

 公安が、女性とその周りにいた人に命令した。鍋に残ったままになっていたスープや麺を捨ててこいと言うのだ。これでは重くてたまらない、ということらしい。

 女性は、泣きながら鍋を持って路上に捨てに行く。その後を、ぜんぜん関係のない一般市民が続いた。女性が鍋の中身を処理するのを手伝おうというのだ。

 数人で鍋を抱え、無言で路上に流し込んで行く。

 その間、多くの人は黙っていた。だが僕は、見守る人達の間で、なにか分からない異様なテンションが高まろうとしているのを感じていた。 あれはいったい、何だったのだろうか││

   

 僕は、いつか聞いたベトナム戦争の話を思い出していた。

 アメリカ軍が農村にやって来て、一つの農家を徹底的に調べ始める。 〃ベトコン〃との疑いをかけているのだ。

 米兵は農家のニワトリを奪う。米を奪う。ヌクマムを入れていた壷をひっくりかえす。

 さらには、農家にとって大事な土地の証明書をも奪おうとする。「生活して行けなくなるわ!」とすがりつく農女を振りほどき、証明書を破り捨て踏みにじる。

 最後に、米兵たちは言う。「こいつらは、ベトコンだ!」

 そして、正当な権利として農女たちを連行しようとする。

 農女たちは、天を仰いで泣き叫ぶ。米兵の手が近づく。

 そして、静かに米軍基地へと連れて行った。

 

 でも、僕はまだ、ファン・グー・ラオの路上にいるのだった。

 今や、没収した屋台道具は、完全にトラックの上に積み込まれていた。 その光景を、屋台の女性は、涙を流しながら呆然と眺めていた。

 トラックが動き出した。それは、この安宿街の向こう側へと消えて行った。

 人々は、身じろぎもしなかった。

 

 僕は奇妙な感覚に襲われていた。

 それは、このファン・グー・ラオで、新しいベトナム戦争を体験したような感覚だった。                    

 米兵は去った。だが、公安は残った。いや、というよりそれは、民衆と権力との宿命的な対決のような物なのかもしれない。

 ベトナム戦争はとっくに終わったが、そこで培われた〃民族性〃というものはそう簡単に変わらない物なのかもしれない。

 僕はファン・グー・ラオの路上で、いろんなことを思い出していた。竹の筒を叩きながら歩く少年のことを、ベトナム戦争の逸話を、公安と駆け引きをしながら営業する屋台の店主たちを。

 公安が来ればさっと引き、去れば再び姿を現す---それはまさに、ゲリラ戦のようなものなのかもしれない。 

 

 ベトナム人は、今も戦い続けているのだろうか。

 サイゴンの路上では、今も〃ベトナム戦争〃が勃発しているのだろうか。

 僕はそんなことを考えながら、夕闇迫るファン・グー・ラオに立っていたのだった。

 

(ROJIN2001年第6号掲載)