過去のエッセイ
No.48 Don't cry,countrymen.(4/18)
前に大阪の喫煙レストランを鋭く批判したが、ついでにもう一つ。
JR京都駅のレストランは、異常に高い。この戦慄すべき事実に、どれほどの人が気付いているだろうか。
とにかく、たかがコーヒーだろうが、ハンバーグだろうが、意味もなく高いのである。
はっきり言って、東京より高い。東京の1.5倍くらいの値ではないか。
どうせ大した食べ物でも飲み物でもないくせに(たぶん)、なんであんなに高いのか。
そもそも、物価は京都のほうが東京より安いはずなのだが。
これはひょっとして、
「京都にやって来るお上りさんから徹底的にふんだくるスペシャル大作戦」
なのではないか。
京の心というか、雅の精神というか。
ワビサビの心、というか。
日本はいい国だね。
しかし、京都人にだまされた田舎者も、泣いてはいけない。
人は、だまされながら強くなっていくものだから。
No.47 ジャーナリストが腹ばいに…… (4/16)
分りやすいほど「民主主義の敵」を演じてくれている最近のアメリカ。今度は、バクダッドのジャーナリストにしつこく嫌がらせをしています。
バグダッドに駐留する米海兵隊は15日、武器が隠されているなどの疑いがあるとして、市内中心部にある「パ
レスチナ・ホテル」を家宅捜索した。政権崩 壊直後、市民らによって倒されたフセイン大統領の銅像があった広場
に面し、約2000人の外国人ジャーナリストが宿泊している。捜索は、ジャーナリストに
銃を突きつけ腹ばいにさせ るほど徹底的なもので、米CNNによると、数人が身柄を拘束された模様だが、人数や国籍などは不明だという。
http://www.asahi.com/international/update/0416/015.html
で、笑ってしまうのが、アメリカ側がこう説明していることだ。
米軍関係者は「米国に対して好意的ではない人物を捜索するためで、そのような人物が同ホテルに宿泊してい
るとの情報を持っている」と話したという。
ははは、「米国に対して好意的ではない人物」って、ひょっとしてそれは「ジャーナリスト」のことでしょうか。
だったらしょうがないなあ。米軍のやっていることを見ていたら、ジャーナリストが「好意的」にならなくても、それはアメリカの自業自得だよなあ。
なにせ、自分たちのいたパレスチナ・ホテルが4月8日に米軍に爆撃され、ジャーナリストが二人も死亡しているのだから。
冗談は抜きにして、これも「衝撃と畏怖」作戦の一環かもしれない。
米軍がパレスチナ・ホテルを攻撃したのも、ジャーナリストに恐怖と戦慄を与え、アメリカに都合のいい記事を書かせる作戦なのかもしれない。
しかし、そう簡単に米軍の考えている通りに行くのか。
パレスチナ・ホテルで屈辱的にも腹ばいにさせられた、ジャーナリストたちの今後に期待している。
No.46 「禁煙席はありますか?」 (4/14)
僕は、タバコの煙が大嫌いだ。だから、レストランや喫茶店に入ったとき、あらかじめ、
「禁煙席はありますか?」
と聞くことがある。
しかし、この問いかけに対するウェーターやウェートレスの答えが、東京と大阪ではぜんぜん違うのだ。これがなかなか面白い。
東京で、
「禁煙席はありますか?」
と聞いてみる。すると、ウェートレスはさらりと、
「はい、こちらでございます」
とスマートに席まで案内してくれる。これが普通である。
ところが、大阪では違うのだ。
「禁煙席はありますか?」
と聞くと、ウェーターやウェートレスは満面の笑みを浮かべて、
「いえ、禁煙席なんてございませんよ!好き勝手に煙草が吸えますので、どうぞこちらへ!」
と、煙がもうもうと立ち込める喫煙無法地帯に僕を連れ込もうとするのだ。
いったい、関西人は何を考えているんだろう。
僕ももともと関西人だが、彼らは、
「人間とは煙草を吸う生き物なのだ。禁煙席とは、煙草の嫌いな変態どもの集う異様な空間であり、人間は当然のごとく煙にまみれて生きていかねばならないのだ……」
と考えているのだろうか。
そもそも、僕が何も言っていないのに、なぜ喫煙者と勝手に決め付けるのか。
こういう人々は、完全禁煙のスターバックスがなぜ人気があるのか、考えたことがあるのだろうか。
正直言って、意識が10年は遅れている。
つくづく思うけど、東京から大阪に行くと、人間のマナーは格段に下がってしまう。
禁煙の場所で煙草を吸う者、電車の中で堂々と携帯電話で会話する者は、大阪は東京の2倍はいる感じである。
これを読んだ関西人は、タコヤキを食べているヒマがあったら反省するように(笑)。
愛があるゆえの批判である。
No.45 イラクの大量破壊兵器はかならず見つかる (4/12)
イラクの大量破壊兵器は、かならず見つかる。
これだけは間違いない。
イラクが本当に大量破壊兵器を持っているのなら、もちろん見つかる。
本当に持っていなくても、アメリカが親切に持ち込んでくれるだろうから、当然見つかるはずである。
No.44 薔薇の花の謎(4/10)
4月9日のバクダッドで、サダム・フセインの像が「アメリカの戦車によって」引き倒された。
そのとき、現地のイラク人は、薔薇の花を振りまいて米兵を祝福したという。
美しい光景だ。しかし、不思議なことがある。
「薔薇の花」って、いったいどこに咲いていたんだろう。
たまたま、バクダッドに咲いていたのか。
それをたまたま、米兵を祝福するために、イラク人がわざわざ摘んで持っていたのだろうか。
僕らは、アフガン戦争で米軍がカブールに入って来たとき、あらかじめアメリカの広告会社が、現地人に星条旗を配っておいて、米軍への歓迎を演出したのを知っている。
広告の力は偉大だ。
だから、今回の米兵とイラク人の麗しい協力風景も、そう簡単には信じることはできないのである。
音をたてて倒れていくサダムの像。この光景を見て、
「まるで、東欧革命でレーニンやチャウシェスクの像が引き倒される姿のようだ」
と評した人がいる。
しかし、これは話が逆だろう。
実は、何者かが、「レーニンやチャウシェスクの像が引き倒される姿をまねて」サダムの像の倒壊を演出したのではないか。
そうとでも考えない限り、この二つの光景は、あまりにも似すぎてはいないだろうか。
それはもちろん、
「サダムはレーニンやチャウシェスクの系列に連なる独裁者であり、同じように民衆の力で倒された」
という概念を流布するためである(決して「アメリカ軍の力によって」ではない!)。
現に、この銅像倒壊の光景が中継された直後、すかさずラムズフェルドは記者会見で、
「『鉄のカーテン』は崩れた。ヒトラー、レーニン、チャウシェスクに連なる独裁者が民衆の力によって倒された」
と発言しているではないか。
まるで、用意されていたかのような美しい台詞。
歴史は繰り返さない。
同じ事象は、そう簡単に何度も起こらないものなのである。
No.43 「イラクの自由」 (4/10)
すでに多くの人が気付いていると思うが、アメリカ人が「自由」と言うとき、それは、
「アメリカ人が好き勝手にできる自由」
を意味する。
ブッシュ大統領が「イラクの自由」と口にするとき、それは、
「アメリカ企業がイラクで大儲けできる自由」
を意味するにすぎないのである。
No.42 ものは言いよう (4/5)
「独裁政治」と言うからいけない。
「強力なリーダーシップ」と言い換えたらどうだろう。
日本でも、最近、
「この激動の時代には強力なリーダーシップが求められている」
なんて言われているじゃないの。
同様に、「民主主義」と言うから美しく聞こえる。
「衆愚政治」と言い換えたらどうだろう。
あるいは、「アホのアホによるアホのための政治」とか。
No.41 ニューヨークの悲劇 (4/2)
このところ、戦争ネタばっかりで恐縮ですが、僕はもともとシリアスでハードボイルドな人間なんです。お赦しを。
「ブラジルに黒人がいたのかね」
「カナダとメキシコの国境問題が良好だったことはない」
と、無知と無教養で僕らを喜ばしてくれるブッシュ大統領だが、アメリカ人というのは、驚くほど世界のことを知らないらしい。
アメリカにはなんでもあるし、外国のことを気にかけなくても生きていけるからである。
アフガン戦争の時だって、実は多くのアメリカ人は、アフガニスタンがどこにあるか知らなかった。知らずに戦争支持していたのである。
現在のホワイトハウスの中枢を牛耳る、いわゆる「ネオコン(新保守主義)」の連中も、実は中東の歴史や文化に無関心で、全く知らないようだ。
で、次のような悲劇が起きた。
「愛国心」に燃えるアメリカ人が、同時多発テロの復讐をしようと、ニューヨークの「アラブ人」を次々と銃で襲い、結果的に四人殺してしまったという事件だが、この事件の真の恐ろしさは、四人もの人間が銃で殺されたという痛ましさにあるのではない。
殺された四人の中に、実はアラブ人は一人しかいなかった、ということだ。
http://www.asahi.com/international/update/0401/010.html
犯人はヤクをやっていたという。
そんなことはともかく、犯人は自分の乏しい知性や地理的知識をフル動員して、「ガイアナ人、インド人、ウクライナ人」をアラブ人だと思って殺してしまったのだ。
犯人は自首してきたらしいが、そんなものは何の慰めにもならない。
この事件は、現在のアメリカの悲劇を凝縮していると思う。
知性の乏しい大統領に、巨大な軍事力。
「気違いに刃物」とはこのことである。